科学技術の未来

技術者教育を研究していく中で、倫理教育は避けては通れないものである。シュレーダー・フレチェット編「環境の倫理」(1993年、晃洋書房)の中で、『各自が自らの最善の利益を追求しているとき、破滅こそが、全員の突き進む目的地なのである。』という文が胸に突き刺さる感動を得た。我々は高等教育機関で、科学技術を糧に技術者教育を実践してきたが、科学の真理を解き明かし、その技術を人類の繁栄に貢献できるようにと、最善の利益を追求して限りない利便をハイテクの元に大衆化してきた。

具体的な事例として、「ガソリン自動車」の普及を考えてみよう。化石燃料が枯渇状態にあるとはいえ、ペットボトルの飲料水1Lが100円で、ガソリンが同価格では自動車の普及に歯止めが利かない。正直なところ、私もその一人である。それは、日本のみならず、全世界的な傾向である。自動車を持って自らの最善の利益を求める。そして、全員が突き進んだ結果、二酸化炭素を大量に排気してしまった。地球にとって二酸化炭素は原始の時代いっぱいあったもので、大気汚染物質ではない。しかし、地球温暖化(環境汚染)問題の根源とされている。ガソリン自動車を科学技術に置き換えて、その発展を論じたが、地球という「共有地」の中でしか生きれない人間各自の最善の利益の追求とは何であろうか。そして、そのときの科学技術はどうあるべきなのであろうか。

先日新聞記事に「リノール酸生成の豚」を遺伝子組換えで誕生させた報告が出ていて、その中でリノール酸は植物油であり、健康食品「豚肉」が大量生産できると報じられていた。豚は動物であり、リノール酸を生産してはならないと思う。現在の遺伝子組換えは何でも出来ることを証明はしているものの、その技術を人類の破滅に向かわせているような気がするのは私だけであろうか。狂牛病というプリオン病を作り出したのも、科学技術である。

科学技術は地球という共有地の中で人類の発展に貢献してきたが、これからの科学技術は地球的視点に立って、社会及び自然に及ぼす影響と効果に責任があり、それらを推進する技術者に倫理が求められる。自然科学の解明を究明し技術開発する段階で、自らの最善の利益を一歩先に置く自制が必須である。

[吉村忠与志(福井工業高等専門学校)]