二十一世紀は地球共生の世紀

二十世紀に科学技術を学び、さらに、教師として科学技術教育に従事しながら二十一世紀を向かえ、今の地球を見つめるとき未来に何が残せるものかと考える。日本は、高度成長とともに大量生産、大量消費、大量廃棄というバブル景気を経験し、そこから脱却できず、平成不況に喘いでいる。化石燃料が枯渇状態にあるときに大量の生産と消費もできず、多用途特化型の科学技術による低成長での景気回復を目指さなければならない。

巷では、ヒトゲノム解読、クローン人間、狂牛病、遺伝子組換え作物など、生物学に関する話題が世間を騒がせている。そして、それらに係る科学技術が実しやかに脚光を浴びている。まさに生物学の世紀を向かえている。地球という無機体が生命体を包含するようになり、さらに、人間の誕生以来、地球環境という有限体の中で生態系の共生が成立してきた。しかし、二十世紀になり科学技術の進歩とともに共生の枠を壊すものが発生した。人類の利便という欲望に科学技術が応え、更なる欲望を作り出し、その欲望が一人歩きする。この欲望という言葉を創造と読み替えると、これまで進めてきたことは科学技術の発展の肯定そのものである。人間だけに与えられた、道具を発明し駆使する知恵に驕るだけで、地球に生かされている生物共同体の一種であることを認識しようとしない。環境倫理の欠如である。プラスチックを作り包装容器に利用したものの、中身の利用後にゴミとなるプラスチックを生分解しないことを知りながら投棄してきた。共生を忘れたツケが来ている。

遺伝子組換え技術で、地球上に存在すらしなかった生物が生まれている。その技術は科学の創造の名の元で淘汰されており、倫理観すら感じられないと心配するのは私だけだろうか。SF映画『パラサイト』のような寄生生命体(parasite)が出回らないとは限らない。扱っている微生物が大腸菌だから遺伝子組換えしても危険じゃないと言うが、自然界に開放されることが絶対にないと言い切れるだろうか。完全閉鎖系での研究レベルが技術として利用されるとき、その利用者の倫理教育まで責任を負うべきである。二十一世紀では、生物学が学問的に究められることを踏まえ、地球共生の世紀を目指すべきである。地球システムを改変しない倫理的目的の達成に科学技術は貢献しなければならない。

[吉村忠与志(福井工業高等専門学校)]