地球に適正な科学技術

科学技術は人間の創造に基づく人工的なものであるという批判が1970年代から始まり、地球環境への影響など関連する面から最も適切な技術として、適性技術(appropriate technology)という言葉がもう一つの技術として提起された。シューマッハー(E. Schumacher)の『人間の顔を持った技術』と同じで、エコロジーの法則にそむかず、稀少な資源を乱費せず、人間に役立つようなものである。素朴で職人的な生産労働による手仕事の技術である。適性技術とは倫理的に適正なものと定義される。技術そのものがモラルをもっているのではなく、技術を使用する行為が倫理的規範に合っているかである。羊や牛のクローン技術から人間のクローンに繋がる技術は道徳的に許されないことであり、生命倫理はこれを許さない。

地球環境汚染が明確化した今日、環境容量限界説があり、地球環境は閉じた有限の世界であり、地球温暖化やオゾン層破壊は環境収容能力をオーバーしている表れである。全地球的なエコロジカルな危機である。過剰な消費による資源の枯渇はもとより、廃棄物問題が大きい。化石燃料からの二酸化炭素などの温室効果ガスの排出規制が必要であり、過去のツケを解消しなければならない。二酸化炭素が増大しても地球自身は何も困ることはない。人類の生存権が脅かされるだけで、自業自得の結果である。地球システムにおける人類の生存権の確保が究極の目的である。ゆえに、人間はその目的に適うように行動すべきであり、自己中心的な『自由』が抑制されることもあるべきかもしれない。

これまでの科学技術は地球システムの応答を無視して、作り出す人工系の挙動を押し付けてきた。その結果、地球上に生きているものを知らず知らずに巻き込んで環境危機を露見してしまった。科学技術という人間活動が地球の危機を炙り出したのである。科学技術が地球システムに抵触したことを、すなわち、地球というものに突き当たったことが技術の危機である。そのことにより、閉じられた有限の世界である地球の存在を明確化した。科学技術には地球に向き合うことの倫理の専制を付帯したと言える。人間の欲望と行動の自由を制限する倫理により、適性技術による自然との共生スタイルへの変革が求められる。この地球の危機を解決するのも科学技術しかない。

[吉村忠与志(福井工業高等専門学校)]