科学技術のアカウンタビリティ

科学技術は、人類の繁栄において偉大なる貢献をなしてきたが、その反面、多大なる失敗も露見してきた。「無から有を生む」という原子力研究開発で、高速増殖炉「もんじゅ」を開発して、試運転していた1995年2月に「2次冷却系ナトリウム漏れ」事故を起こし、ナトリウム火災にまで拡大してしまった。原因が明らかになればなるほど人的なミスであり、取り返しの効く事故であった。安易な設計と動燃のメーカ任せのずさんな管理体制が原因であり、技術者倫理の欠如に他ならない。そして、運転の議論が噛み合わないまま、2002年5月をもっても運転再開の見通しは立っていない。

原子炉運転ということそのものに社会的に大きなアレルギー反応があり、ましてやナトリウム冷却系管理という成功事例の少ない運用となるとカタストロフィ(catastrophe)を想定してしまうこととなり、なかなか社会には受け入られないことが多い。しかし、化石燃料が枯渇寸前であり、ウラン燃料だけにも頼れない現状の中で、高速増殖炉の開発は必然である。科学技術は失敗を重ねながら失敗に学び、人間社会に貢献してきた。原子炉運転は危険だと決め付けられる前に、対社会的な説明責任が問われている。

原子炉問題のみならず、技術者は、科学技術が人間社会に与えるインパクトの大きさや多様性をしっかりと認識すると同時に、それを社会に分かりやすく説明する責任、アカウンタビリティ(accountability)が求められる時代となった。「もんじゅ」再開のために福井県や事業体で住民対象に説明会を何回か行っているようであるが、それだけの説明で理解できない人的な不透明さが見え隠れする。まさに科学技術の信頼であり、倫理観が問われている。科学技術に対するアカウンタビリティは教育における命題である。日本での狂牛病問題でも、牛肉骨粉の利用に対して農水省関連の科学技術者にアカウンタビリティがあり、プリオン病に関する知見を有しておれば、未然に防げた事件である。

人類が経験したことがない技術が発明され、科学技術が発展する。そのとき、技術者が地球的視点から多面的に考えて、技術倫理を持ってその技術のアカウンタビリティを認識しなければならない。一面的な利便性だけに注目した倫理観の欠如だけは決して許されるものではない。

[吉村忠与志(福井工業高等専門学校))