士林農工商の思考体系
日本古来の江戸時代の階級に、士農工商があるが、士と農の間に林を入れて、士林農工商とした人間の思考時間を設定した。その時間の設定は、士を100年先、林を10年先、農を1年、工を1ヶ月、商を1日とした。すなわち、商に携わる人はその日その日の動きに目を配り、工に携わる人はモノを作るのに1ヶ月を要する。農作物は1年かけて耕作する。山で木を作ろうとすると10年以上が必要である。士は政策(国)を作り、将来の見通しを立てる人であり、100年先を見据えていなければならない。これは恩師藤永太一郎先生から学んだことである。
現代の士に相当する人は、政治家、学者といった社会のリーダである。高等教育機関に身を置く者として何年先を見据えて行動しているかを自問自答してみるとどうであろうか。専攻科をもつ高等専門学校としては、7年間の一貫教育を実施しているのであるから、それ以上の近未来に責任を負うべきであり、在籍する学生の将来の夢を一緒に語れなければならない。
これまでの高等教育機関には、目の前の小銭を拾うような、その日暮らしには縁遠く、教職もパーマネントで、任期制などという不安はなかった。しかし今日は、我々の教育研究業績の成果はサイテーション数で評価を受ける時代となり、大学を始めとする独立行政法人化の波が襲来しており、他人の目を気にして物事を思考しなければならないようになった。学生には「小銭を拾うような人生設計をするな」と指導している者として、10年いや100年先を見据えた思考で価値の発見を行ないたいものである。そして、その評価は主観的であるべきである。大学を始めとする高等教育機関に必要なことは、普遍性であり、先導性である。
義務教育を終え、高等教育機関に進学してくる学生は卒業後に夢見て勉学に勤しむものである。学校に集まってきた学生に対してすてきな夢を見せて、与えるのが学校教育である。目先の欲するものを確保するための手法に終始する余り、すてきな夢を抱かせる間もなく教育プログラムを進めているのが現状である。10年から100年という長期展望に立った教育プログラムを遂行しなければならない。そのためにはどうあるべきであろうか。先の藤永語録に基づく、士林農工商の思考体系を提案する。高等教育機関ではせめて10年先以降のすばらしき夢に向かえる思考を育成すべきとしたい。先を読める先導性と普遍性を培いしたものである。
[吉村忠与志(福井工業高等専門学校)]