オーバースペックと手抜き
地球環境問題を考えると、ゴミの分別による簡易焼却法は古来の叡智を持って復活させたいものである。日本のみならず、ダイオキシン問題が出るまでは個々の生活体において燃えるもののゴミは焼却処理をしてきた。そして、何も問題は起きてこなかった。ダイオキシン問題が騒がれると、重油による高温焼却を義務付ける法律ができ、簡易焼却炉は使用禁止となり、その姿さえ消していった。さらに、秋になると落ち葉を集めて焚き火をして焼き芋を楽しんだ風習も出来なくなった。
このゴミ焼却問題を省みるに、焼却炉から排出されたダイオキシンで人的な危害が生じたこともなく、ただ科学的な数値デマが環境問題として巷で取り上げられた挙げ句、簡易ゴミ焼却を禁止し高温焼却炉のみ許可した結果、オーバースペックのゴミ焼却処理となってしまった。技術者のオーバースペックに対するマニアックな満足感が重油による高温焼却炉そのものとしてあらわれている。枯渇も近いと言われている重油をゴミ処理に使うことすら、環境問題だと力説したい。簡易ゴミ焼却炉を必要とする一般家庭で排出されるゴミは生ゴミをはじめとする燃えるゴミがほとんどである。確かに生ゴミはそのまま燃やすとダイオキシン発生を伴うものであるから、焼却処理するのではなく、分別によりバイオマスというエネルギー源として再利用をしなければならない。生ゴミからはバイオガスなるメタンガスが取れることはよく知られている。
人間はモノが不要になるとゴミとして廃棄するが、生活を維持していく中でオーバースペックを要求することはいけない。しかし、分別しないゴミ処理法での手抜きはもっといけない。生きていく知恵として与えられたゴミの焼却法を手抜きでないやり方で利用すれば、貴重な資源の重油を使わなければできないようなオーバースペックな方法を取らずともゴミ処理はできるはずである。
ゴミ処理を検討する中で、何を燃やしたらダイオキシンが出るのかを生活知識として持ち、古来の叡智として受け継いできたゴミ焼却法を復活させるべきである。道路に落ち葉が溜まると自治体のゴミ処理業者が掃除してくれるのを待つことなく、近所が集まり、落ち葉焚き火が井戸端会議になる風習こそ、持続可能な地球環境に貢献するものと信ずる。オーバースペックに頼ることで急ぎ過ぎの科学技術は見直されるべきものと考える。
[吉村忠与志(福井高専)]