循環系外にある物を使った責任
大量消費社会になれた人間は、地球環境の綻びを見せられて、循環型社会への移行を真剣に考えるようになったものの、石油に依存した生活から脱皮できずにいる。石油は化石燃料であり、枯渇寸前と言いながら、採油を止めることもない。また、利用者である我々も石油からのガソリンで毎日マイカー通勤している。贅沢を覚えると過去には戻れないものである。
新刊本「地球の暮らし方」という月尾嘉男先生の著書(遊行社発行)を拝読した。その内容は、65億人まで増えてしまった人間活動が環境問題を引き起こしていることを力説している。私がこれまでのコラムの中で述べてきたことと相通ずるところがあり、ぜひ一読を薦めたい。
「循環系の外に存在していたもの」という節の中で、『人間以外の生物はすべて循環する仕組みの中で生活しているのに、人間だけが循環していなかったものを社会に取り込んでいることです。』という文がある。循環系の外に存在していたものとは、化石燃料である。人口増加に伴い、人間は自然の森林を伐採して農耕地を増やすことによって、太陽エネルギーによる二酸化炭素の固定化が進まなくなった。そして、石油を採掘して燃料として使ったので、大気中の二酸化炭素が増え、地球温暖化はますます進行する。
1個しかない地球の適正人口は50億人と推算されており、すでに15億人超過である。地球という瑞々しい快適な環境容量にも限界がある。その綻びの兆候として地球環境の汚染や破壊が進行したことから、人間はその重大さに気付くことになる。先の著書の中で、「110年前に温暖化の予言」という節があり、その予言者はスヴァンタ・アレニウスである。化学を学ぶ者なら誰でも知っている。彼は1896年に論文発表しているが、人々は二酸化炭素による温暖化の重大さに気づかず国際的な問題視もしなかった。それどころか、20世紀は科学技術による大量生産・大量消費・大量廃棄の消費型社会になっていったことが残念である。
人間は100年前に戻ることができない今、循環系外にある物を使った責任を真摯に受け止めなければならない。人間のエゴを通し京都議定書を批准しないような行為は絶対してはならない。人間として地球での暮らし方をもう一度考え直すことが責務である。
[吉村 忠与志(福井高専)]