農薬の功罪を考える

 

地球上に動物が誕生し繁栄していく中で、人類だけが狩猟生活から農耕生活に切り替え、食糧確保のために地球環境を意のままに利用してきました。農地が必要であれば、野山を開墾し、その周辺の生態系を破壊しながらも農作物を作ってきました。人間が食するものはそこに棲む動物にも食糧であるはずが、人間は自分たちのものを食するものは敵とみなし、その場からの排除を目的に農薬というものを開発しました。

始めは農作物を害する微生物、昆虫、小動物、雑草などに鉾先を向けての農薬を作り、散布してきました。筆者の子供時代、DDT(C14H9Cl5)の白い粉はノミやシラミという害虫の襲来から救ってくれる薬として愛用されていました。終戦後の日本の衛生状態の悪さを救ったものと評されています。しかし、カーソン(R. Carson)著「沈黙の春」から始まる環境汚染の警鐘によって農薬の使用が問題視されるようになりました。農薬の鉾先が害虫だったはずが、我々の住む地球環境に向けられていたことを知りました。DDTで代表される農薬が生物濃縮によって環境中では極微量であってもそれを食する動物では10万倍に濃縮され、極めて危険な濃度になっています。このような農薬で、一見豊かさを得たかにも見えますが、それは本当の豊かさではなかったといえます。

近代農業で、農薬無し農業、有機農業が難しいことも分かりますが、DDT以前の古い農業システムを近代農業に取り込むことが必要になってきました。農薬も有機塩素系のもののように化学的に安定なものではなく、害虫には効果的なものの、一雨降れば加水分解してしまうような、化学的に不安定な農薬の開発が切望されます。科学技術はこれまでも不可能を可能にしてきました。近代農業では耕地面積が広く、そこへの農薬の大量散布は必要条件でしたが、農薬の大量散布を必要としない地産地消による農産物の確保により、食糧とする農作物を生産することになります。その農作物も現在の農業市場では廃棄されている、虫などで傷つく作物が一級品となるような、商品価値が根付く必要があります。「虫の食った」という商標が「人間に安全」となる評価がますます高まることを願い、持続可能な農業を維持しなければならないと思います。

(吉村忠与志[福井高専])