科学技術を持った人間の責任
地球遍歴46億年の中で、107種類の生物が誕生し、自然淘汰で生存のルールを守っている。しかし、その生物の中で超発達した人間は、一人勝ちの世界を作り出し、地球をも征服できると勘違いして、限られた地球空間を過剰飽和状態にし、地球環境の汚染・破壊を招いてしまった。例えば、化石燃料の枯渇問題や、二酸化炭素等による地球温暖化が表面化しても、グローバル政治を司る各国の首脳は未だに他人事である。アメリカは自国の繁栄のために京都議定書すら批准しようとしない。ピュー気候変動研究センターの調査によると、産業革命以降に放出された二酸化炭素が原因で起こった温度上昇の77%が先進国である欧米や日本に責任があると報じている。
地球環境には生態学的な許容量があり、食糧を地球生体に依存している以上、再生可能な自然資源に頼らざるを得ない。その指標としてWWF(世界自然保護基金)のエコロジカル・フットプリントがあり、既に許容量をオーバーした数値が示されているにもかかわらず、人類のエゴが未だにまかり通っている。人口増加、地球温暖化、森林破壊、などなど破滅の一途をたどっている。これらすべて人類活動によるものではないかもしれないが、環境破壊の進行速度はますます加速している。一人勝ちしたと思い込んでいる人類の横暴は、無知か無謀か、地球環境はこの瑞々しいままで持続可能であると思っているに違いない。技術者教育に携わる我々の責任でもある。
あらゆる環境問題は20世紀後半からの加速度が高く、科学技術の発展は一致している。すなわち、科学技術の運用が原因といわざるを得ない。高度な科学技術を持って繁栄してきた人類の責任として、その破壊速度を弱めるどころか、停止させなければ、人類には未来がない。
科学技術をもってすれば自然をコントロールできると勘違いして、熱帯雨林を破壊して人工のリゾートを作ったとしても、地震による津波一つで自然に戻されてしまう現実を見た。人間は地球上で生き物として生かされていく中で、科学技術を持ったことにより他の生物とは違った環境エゴを通すことが出来たかもしれないが、それによって破壊された環境修復・保全も当然人間の責任である。21世紀を生きる人間には、人類一人勝ちでない、地球生態に生かされているという、共生のための科学技術の発展と運用が望まれる。
[吉村忠与志(福井高専)]